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まりぼん
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理解するということ
ガツンとひびく

トラックバックさせて頂いたのは、恐山院代の南直哉師のBlogです
私が生まれて初めて座禅をした時、指導をしていただいたのが南師でした
その時の座禅は、初めてにもかかわらず
これまででも一番と言ってもいいくらい、素晴らしいものでした
今にして思えば、日本から9500キロ程も離れたこの場所で
仏教思想を基にしたサイコセラピーを勉強しているのも
実はあの時の経験が大きく影響している気がします
ご縁とは面白いものです

その南師が、土浦通り魔殺傷事件の犯人について書いていらっしゃいます
これが本当に、ガツンと心に響くものでした
人の心を本当に理解しようと思うとき
大切なのは理論ではなく、相手の心に触れることです
相手を責める気持ちでは、その人の心に触れることは出来ません
こんな人の心は理解してもしょうがないと思えば
どこまでも二つの線が重なることもなく、触れ合うこともないでしょう

私が、南師のこの記事ですごいと思ったのは
(あくまでも私にとって)彼が一般的価値観であるとか、常識であるとか、倫理であるとか
そういうものを深く理解したうえで、それにとらわれることなく
まっすぐに相手の心に触れようとしているのを感じたからです
彼に対しても、まわりの人に対しても慈悲の心があり
かといって、情に流されているわけでもなく
ひとりの人間として、ひとりの人間に向き合う
そこには、覚悟があります

そうして、誰かに心を触れてもらったときに
この事件の被告人である彼は、本当に自分のした事の意味を理解できると思うのです
逆に言えば、彼はこれまで、それを経験していないような気がします

自分のクライアントに会っても
クラスメイトのクライアントの話を聞いていても
そこに深い孤独を感じることはよくあります
それを完全にではなくとも、誰かが理解してくれたとき
誰かがその孤独に、痛みに触れ、寄り添うことが出来たときに
初めて、人は、独りではないと
本当の意味で気付くことができるのだと思います

逆説的ですけど
自分の中のもっとも深い孤独を認め、理解したときに
人は孤独ではなくなるのではないでしょうか
その作業は、あまりにも苦しいものなので
お釈迦様のように強い心ではない限り
独りでは難しいのでしょうし
助けがあるのは素晴らしいことです

仏教では、そのための師があり、仲間があり、教えがありますが
日常生活も、私のやっているお勉強も、お仕事も
先生、スパーバイザー、仲間、セラピスト、友達、家族
色んなものに支えられています

セラピストとしてひよっこで未熟者の、私の願いは
目の前の人の、ひいては自分の痛みや孤独から逃げ出すことなく
そこに寄り添うことが出来るようになること
それだけの事が、とても難しいですね

あなたが独りだと感じ、苦しいときも
その孤独も、痛みも、あなただけのものではなく
この世界のどこかに、同じような痛みを、孤独を抱えて
それでも、自分を、世界を信じて頑張っている人はいます
あなたに思いを遣るひとはどこかにいます
独りではないのです
忘れないで下さい

まりぼん
ひとのこころ
4 0

comment
自分が苦しい時は視野が狭くなって自分に向かうので、ますますバランスが取れない状況になりますが、
>あなたに思いを遣るひとはどこかにいます
独りではないのです
と、思う事で均衡が保たれるような気がしてきます。
人はたった一言で(または目にした光景で)救われたり、孤独感を強めたり、繊細で過敏でとても愛おしい生き物だなぁって感じてます。自分もその人の中の一人であることが愛おしいです。
2009/06/16 13:58 | | edit posted by listen
Re: タイトルなし
Listenさん

本当におっしゃるとおり、小さな事で喜びを感じたり、深く傷ついたり、人の心というものは興味深いものですね。
人とは、繊細で優しい生き物だと思います。だからこそ、ひどい事もおこり得るのがもどかしくもありますね。
2009/06/18 00:00 | | edit posted by まりぼん
なんとなく「普通の基準が判らない」私も、恐山のBLOGを見て、理解できる気がしました。
あまり最近そういうことを深く突き詰めて考えることがないのですが、私にとって怖いのは、“無関心”ってことですね。
こういう事件があったからって別に私には関係ないわーと。。。
殆どの人がそういう立場(もしくは無責任に文句を言ったり、責めたり)だと思うのですが、このBLOGを見て初めてまりぼんの言う慈悲、というか人間に対する愛、みたいのを感じました。
ただ淡々と摂理を説いているような・・・
私のコメントは感情ダダ漏れで、これが精一杯です。。。
2009/06/23 03:42 | | edit posted by REiNA
Re: タイトルなし
REiNAちん

普通の基準って難しいよね。普通と言うのは地域によっても年齢によっても時代によっても変わるものだと思いますから、非常にあやふやなものです。
かのマザー・テレサも「愛の反対は無関心」と説いたくらいで、やはり無関心とはとても怖いですね。
世界で起こっていることは、大きな、長い目で見れば、何かしらの形で自分にも影響があると私は思います。しかしながら、無関心と言うのもある意味自己防衛の形なのかもしれない、と思ったりもします。

感情的であることが必ずしも悪いことではないと思うのです。だからこそ人を思いやることができるのだから。ただ、それに飲み込まれて、自分を失ってしまう事は危険ですね。

そういえば、南さんの座禅、あなたもいたね!
2009/06/24 09:22 | | edit posted by まりぼん
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