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まりぼん
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命を問う
さて

知っている人の死に関わると、普段は忘れている命について考える
生きるということは、死に向かうということ
それは良いとか悪いとかではないのですね
身近に見る死は、これ以上ないというほどの現実をつきつけます

死とは、テレビで見たり本で読んだりするほど簡単でもない
いくつかの死に立ち会って思うのは
生と死の境は、はっきりと線が引かれているものでもないのでは?ということ
死とは、その瞬間に起きる事ではないのではないかもしれません
だからこそ、仏教には、お通夜、お葬式、初七日…などなど
色んな段階があるのでしょう(これがチベット仏教になると、死のときからもっと沢山色々とあります)

命を問う
死を思う

いま、少しずつ、少しずつ、確実に死に向かっている、あの人は
本当のところ、どこにいるのだろう?
まだここにいるのだろうか
それとも、少しずつ、彼の命はここを離れてしまっているのだろうか?

沢山の機械に管で繋がれて、意識のない彼の命は
ひどく現実感がないように感じるが
その先にある死はとてもリアルだ

痛みはあるのでしょうか?
意識のない底で、悲しみを感じているのでしょうか?
私には計り知れない時間を彼は過ごしているのです

願うのは、どうか苦しみのないように
穏やかな死が訪れるように
沢山の人の思いに支えられている彼の命は
今にも消えそうでいて、明るく輝いているようにも感じます

チベット僧である彼から、教えを受けたことはなく
友達であった私ですが
その命と死は、私達に沢山のことを教えてくれます

最後に言いたいことって
ありがとうと、ごめんなさいしか思い浮かばない
笑って赦してくれるのも、わかってますけど

私たちの命がいまここにあるという事は
本当のところ奇跡のようなもので
終わってみれば儚く、一瞬のように短い時間を
ただありがたく生きる他に何が出来ましょう

だから、何も心配しないで
日々を大切に、感謝して

どうもありがとう
まりぼん
ひとのこころ
7 1

comment
どんな人でも、この世に生まれてきたら二つの事をしなければならない。一つは生きることであり、もう一つは死ぬことです。そして大切なのは生き方なんだと思う。

彼は死の直前まで生きる。生きようと努力するんじゃないでしょうか!。
昔、誰かがblogに”死ぬために必要な場所があってもいい・・・”と書いた。僕は、”死ぬまでに生きるための場所が必要なんだ・・・”と書きました。このときは高齢化の問題で、老人ホームだとか病院や福祉、そして家族のあり方を考えたのだと思います。

神様に死の宣告を受けたかは本人が一番分かってる。人間から死を告げられるのは悲しい。
彼は生きてるんです。死を覚悟してても、死を受け入れる準備をさせてはいけないと思います。
産まれることも、死ぬことも、神様が決める。でも生き方だけは自分が決める。
2010/08/23 00:58 | | edit posted by 筑紫平野
まりちゃん
 おはようございます。
 大変御無沙汰しています。
 お友達?大変なのですね。
 今はニューヨークですか。
 それから、ブラジルとマチュピチュですか。
 長い旅だなぁ-
 でも、楽しそうですね。
 そして、12月は日本ですか。
 どうぞ、お体に気をつけて下さい。(笑顔)
2010/09/07 01:52 | | edit posted by こうめい
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2010/10/16 21:23 | | edit posted by
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2010/12/08 00:53 | | edit posted by
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2011/12/09 07:26 | | edit posted by
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2012/11/09 05:43 | | edit posted by
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2013/01/31 01:25 | | edit posted by
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| | 2012.11.25 06:38 |
 
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