スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
まりぼん
スポンサー広告


命を問う
さて

知っている人の死に関わると、普段は忘れている命について考える
生きるということは、死に向かうということ
それは良いとか悪いとかではないのですね
身近に見る死は、これ以上ないというほどの現実をつきつけます

死とは、テレビで見たり本で読んだりするほど簡単でもない
いくつかの死に立ち会って思うのは
生と死の境は、はっきりと線が引かれているものでもないのでは?ということ
死とは、その瞬間に起きる事ではないのではないかもしれません
だからこそ、仏教には、お通夜、お葬式、初七日…などなど
色んな段階があるのでしょう(これがチベット仏教になると、死のときからもっと沢山色々とあります)

命を問う
死を思う

いま、少しずつ、少しずつ、確実に死に向かっている、あの人は
本当のところ、どこにいるのだろう?
まだここにいるのだろうか
それとも、少しずつ、彼の命はここを離れてしまっているのだろうか?

沢山の機械に管で繋がれて、意識のない彼の命は
ひどく現実感がないように感じるが
その先にある死はとてもリアルだ

痛みはあるのでしょうか?
意識のない底で、悲しみを感じているのでしょうか?
私には計り知れない時間を彼は過ごしているのです

願うのは、どうか苦しみのないように
穏やかな死が訪れるように
沢山の人の思いに支えられている彼の命は
今にも消えそうでいて、明るく輝いているようにも感じます

チベット僧である彼から、教えを受けたことはなく
友達であった私ですが
その命と死は、私達に沢山のことを教えてくれます

最後に言いたいことって
ありがとうと、ごめんなさいしか思い浮かばない
笑って赦してくれるのも、わかってますけど

私たちの命がいまここにあるという事は
本当のところ奇跡のようなもので
終わってみれば儚く、一瞬のように短い時間を
ただありがたく生きる他に何が出来ましょう

だから、何も心配しないで
日々を大切に、感謝して

どうもありがとう
スポンサーサイト
まりぼん
ひとのこころ
7 1

| HOME | next
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。